『DONZOKO JAPAN CHAOS』について

 
3.11がすべてのきっかけです。
 
あの時多くのミュージシャンがそうだったように、自分も何を歌ったらいいのかわからなくなりました。
2日後にライヴがあったのですが、どの曲やろうにも何だか不適切な気がして、自分の曲のリストを眺めながら「歌う曲ないな〜」と頭を悩ませたのを今でも覚えています。
いつも普通にやっていた曲が『自粛ムード』というフィルターがかかればあっと言う間に無力化し、自分の音楽が肝心な時に全く役に立たないことが、何だかとても悔しかったです。
 
散々迷った挙げ句、ライヴはいつも通りのスタイルでやりました。「結局自分にはこれしかできないし」という開き直りの気持ちで力一杯歌いました。
お客さんに怒られるかな、気分を害する人もいるだろうなとも思ったのですが、意外にもあの状況の中来てくれた人は「スッキリした」と言って帰って行きました。
これでよかったのかもしれない。被災地から離れた東京にいた自分らですら不安や混乱の中で生活していた時。
ほんの瞬間でも楽しませれたなら、自分の音楽にもまだ微かだけど力が宿っているのではないかと感じました。
 
震災から少し時間が経ち、世間では「がんばろう東北」や「絆」などの言葉が頻繁に使われるようになりました。そしてミュージシャンも被災地に赴きライヴをしたり、エールを送る曲を発表していました。
自分はというと、被災地に行って来たことをさも観光地に行ったみたいに話す一部の人や、一時のブームみたいな復興支援の空気に違和感を感じ、東北に行くことはありませんでした。その時はまだ東北に友達はいなかったし、「自分なんかが行っても」という卑屈な気持ちがあったのも確かです。(今考えれば、四の五の言わずに動いていた人を妬んでいただけだったのかもしれません。)
そんな心境だったので当然、「日本を元気に!」「みんなで助け合おう!」みたいな曲を書く気にはなれませんでした。そもそも万人に受けそうな耳障りのいい歌を書く才能などないので、そういった曲は他の方に任せて、自分はいつか来る時に備えて言葉を貯め込んでいました。
 
季節は流れ、日本を取り巻く状況は次第に変化していきました。
原発問題に端を発し、これまで見ようとしていなかった日本の醜態がどんどん明らかになり、心がもやもやすることばかりが起こりました。
これまで当たり前だと思っていたことが嘘だとわかり、嘘を押し通そうとする力が世の中を動かす。
テレビなんて見なくてもビンビンに感じる、何だかヤバいことが起こってしまっている雰囲気。
さすがに不勉強で無知な自分でも、そこら中に蔓延する違和感に不快感を覚えずにはいられませんでした。
 
そして悲しいかな、世の中が悪い時こそ、パンクロッカーの出番です。
一度奪われた音楽の力を取り戻すように、貯めていた言葉を一気に吐き出すように、どんどん曲を作っていきました。「何かおかしいな?」と思ったことがあれば一曲。「これはムカつくな」ということがあれば一曲。その時の感情を忘れないよう、しっかりと記録する意味も込めて、溢れる言葉のまま形に残していきました。
原発も、オリンピックも、特定秘密保護法案も、選挙も、TPPも、戦争も、歌にしました。
虐待も、モンスターペアレントも、いじめも、大家も、携帯屋も、性欲も、歌にしました。
 
気づいたら2012年から2014年の間で、100曲に及ぶストックが出来上がっていました。
無我夢中で世の中に反射するように作ってきた曲たち。それらをライヴで歌っていくうちに、「今の日本をテーマにしたアルバムを作ろう」という結論に辿り着いたのです。
3.11をきっかけに起こった世の中の出来事。自分の心境の変化。政治のこと。生活のこと。
すべてがひとつのメッセージになっている作品を作りたいと思いました。
アルバムの中に一曲だけとかではなく、その一枚が日本のことだけで貫かれている作品。
こんな世の中だからこそ、そんな作品を残さなきゃダメなんじゃないかと思いました。
 
しかし、「今の日本」をテーマにアルバムを作るのは容易いことではありませんでした。
自分が納得できるアルバムの流れができるまで、何度も曲を作っては入れ替えました。
曲の完成度を上げるため、今まで全くやったことのない挑戦もしました。
ひとりでは力不足なので、たくさんのミュージシャンや友達に協力してもらいました。
行き詰まったり、挫折したり、失敗したり、四苦八苦しながら、レコーディングだけで1年近く時間をかけて作りました。
震災後動かなかった分、デモにも行かず曲ばかり作っていた分、この一枚に懸けてやってきました。
おそらくこんなに力を込めたアルバムは二度と作れないと思います。
もう今後アルバムが作れなくても、これが遺作になっても、これさえ残ればいいと思って作りました。
 
今アルバムを作り終え、これから色んな人の手に作品が渡る前に、ひとつ伝えたいことがあります。
それは、このアルバムは応援歌であるということです。
作り上げていく過程で、こんな世の中で変えようとしている人たちの手助けを音楽でしたいと思いました。
一番尊敬するジョー・ストラマーというミュージシャンが「俺たちが成し遂げたいのは、『状況は変えられる』という社会的雰囲気なんだ。」という言葉を残していますが、自分がしたいのはまさにそれです。
この国を良くしようと本気で動いている少数派の人たちに。
真剣に対峙すればするほど嫌になる社会を相手に闘っている人たちに。
震災直後のライヴでお客さんに「スッキリした」と言ってもらえた時と同じように、今の日本で必死に頑張っている人たちに勇気を与える作品にしたかったです。
それは「絆」をテーマでは1曲も書けなかった自分からの今更ながらのメッセージです。
パンクロッカーなので、学者や先生ではないので、拙い言葉だらけですが、この作品に命を注ぎました。
どん底から愛を込めて。
 
東行